淡路島でぶどうをつくり続けて40年 おいしさの秘訣は「日々の管理」
淡路島でぶどう作りを始めたハートスフードクリエーツ。後継者不足に悩む常盤観光ぶどう園の角田さんから遊休農地をお借りして、ぶどうの栽培を始めたことは、3月のブログでご紹介しました。
前回のブログはこちら:https://heartoss.co.jp/news/1948/
淡路島・野島常盤地区で最初にぶどう作りを始めた角田さんは御年90歳。私たちにぶどう作りのノウハウを伝授しながら、今もぶどう作りに携わっています。そんな角田さんはなぜ淡路島の地でぶどうを作り始めたのでしょうか。ぶどう畑を引き継いだハートスにどんなことを期待されているでしょうか。
今回は、角田さんにスポットを当て、ぶどう園の歴史やぶどう作りのことをお聞きしました。
ぶどうを淡路島の新たな特産品に
Q.ぶどう作りの歴史を教えてください。
ぶどう作りを始めたのは昭和53年、今から40年以上前になります。当時ここには14軒の農家があり、1700本ほどのピオーネを植栽しました。
Q.なぜぶどうにしようと思われたのですか?
最初は、国の方針でみかんを栽培することになっていました。ただ昭和47年の大豊作を機に、みかんの価格は暴落…みかんで生計を立てていくのは難しいと考えるようになりました。そんなとき、ある人から「ぶどうを作ってはどうか?」と助言を受け、ぶどう作りを決意したのです。
Q.品種をベリーAやピオーネにした理由は?
当時ぶどうと言えば、小さな実のデラウェアが主流で、巨峰やベリーA、ピオーネなどを栽培している農家はそこまで多くありませんでした。それが大きな理由ですね。
そこから山梨や広島の三次までぶどう作りを学びに行きました。ぶどうの棚づくりなどさまざまな研修を受けましたね。その後は自己流(笑)。この辺りはビワしかなかったので、ぶどうが地域を盛り上げる新たな特産品になればと思い、ここまでやってきました。
Q.ぶどう狩りにはたくさんの人が訪れたそうですね。
多いときは、1日70人ぐらい。大型バスで来られていましたね。忙しくて、地元の人にお手伝いに来てもらっていたほどでした。
甘くて風味豊かな角田さんのぶどう おいしさの秘訣は?
Q.ぶどう作りで大変なことは?
自然が相手というのが一番大変なこと。
15年ほど前は台風が、この地を通過してかなりの数のぶどうの木がやられてしまいました。ぶどうはその時々の天候にも左右されます。最近は年々温度もあがってきており、心配は尽きません。
Q.おいしいぶどうをつくるために工夫していることは?
今植えているぶどうを日々きちんと管理すること。それ以外にないと思う。
他と違うことと言えば肥料かな。本来、有機物を肥料として使おうと思っても、手に入れることは難しい。ただうちはずっと業者から無料で乾燥させた牛糞をもらいぶどうを育てています。
Q.ハートスに期待していることを教えてください。
とにかく成功してもらいたい。
ハートスの皆さんは、他の農園もあって忙しいと思いますが、頑張ってこの常盤観光ぶどう園を盛り上げてほしいです。
Q.休日は何をされていますか?
ぶどう作りに休みはないですね。
ただ作業が終わった後は、ドラマを見ます。ドラマは大好きで1日3本ぐらいは見ているかな(笑)。それが仕事終わりの楽しみになっていますね。